船昌百周年史

株式会社船昌の歴史は1924年に神田市場に開業した果物問屋「船昌商店」から始まり、2024年に創立100周年を迎えました。船昌の100周年を様々な形でご覧ください。

船昌の100年を年表で見る

船昌の創業から100周年に至るまで

1924年に神田市場からはじまった

船昌は、1924年に江戸時代から続く老舗「船定」から暖簾分けをし、創業したのがはじまりです。神田市場内でも優良企業として名を馳せ、仲卸業を営んできました。平成元年を迎えた1989年に神田市場は現在の大田市場に移転します。
大田市場の落成式には、初代会長・関野保人と会長・関野進が出席しました。市場移転に伴い、本社を大田市場の仲卸が並ぶ一角に設けました。この頃から、量販店との付き合いが好調で、売上構成比の半分が量販店となり、1991年には本社ビルが完成。船昌の総売上は100億円を超えるまでに成長しました。
1992年、関野進が社長に就任すると、関野保人は取締役会長職に就きます。1997年には株式設立30周年を迎え、創業からの歴史をまとめた記念誌は「幾山河」と会長の母・関野まさ子が名付けました。

青果物流の新しい時代を切り拓く

2000年代に入り、「正確な時間に新鮮な青果をお届けする」その思いは変わらぬまま、IT技術を取り入れ、効率化を図るとともに鮮度管理も徹底していきます。2011年代表取締役社長の職に関野裕が就任し、時を同じくしてF・C・C第1物流センターが完成。その後、パッケージや商品開発を担うファームステーション、物流を担う船昌GLOBAL CARGOを設立。青果物流のさらなる発展に向け、船昌の独自スタイルができあがりました。
100周年を前に、海外輸出を強化するため2018年に海外事業部を発足。さらにBtoC事業へ参入するため、2022年にf.diningを設立し、EC事業「Seika」もスタートしました。消費者へ直接青果のおいしさを伝えたい。その思いから2023年感度の高い方が多い東京・青山に「DEK」をオープン。2024年6月に100周年を迎えました。
大田市場落成式の様子。
船昌本社ビル完成。
F・C・C第1物流センター完成。

写真で振り返る船昌の100周年

1924年に神田の地で創業して100年。当時は道路も未舗装のところが多く、野ざらしの場所に、青果はバラ積みでトラックに積まれて市場に運ばれてきていました。100年のあゆみを写真とともに振り返ります。

高度経済成長期の船昌

高度経済成長期の神田市場の様子。右側の「東印」は東京青果。
柱にある「○一」印は1967年東京青果と合併した東京丸一青果の印。
1960年代の神田市場 場外を走り回るダイハツ・ミゼット。
秋葉原デパートから見た南口。神田青果、丸一、東京青果の3軒が並ぶ。
1966年全国中小企業団体総連合より感謝状を賜る。
関野保人宛の感謝状。
神田市場場外の近くで暮らす人々の日常。
フォークリフトが登場する前は人力で荷物を運んでいた。
少しずつ市場の美化が進んでいく。
今はなき神田信用金庫の横に事務所を構えていた。
活気だつ競り市場。
バラ積みで市場に到着したスイカ。割れていることもしばしば。
紀州ミカン販促活動。
初代会長がこよなく愛した神田祭。
賑わっている神田祭の様子。

発展する神田市場と船昌

立体化が進んだ神田市場。
1966年、花畑にバナナ加工所が完成。
1960年代の前橋営業所。
現在はターレーと呼ばれるモータートラック。
東京都の功労者として知事表彰を賜る。
知事表彰を賜った初代会長。

100年の感謝と、これからの船昌グループ

船昌グループが目指すのは、「食を通して人や社会に貢献し、豊かな未来を次世代に継承すること」。生産者の思いとともにフルーツの魅力を届けるBtoC事業のECサイト「Seika」を2022年にスタート。2023年には、大田市場直送の旬の青果を味わえる直営レストラン「DEK」を東京・青山にオープンしました。青果本来のおいしさを広く消費者に伝えることで、農業への関心を高め、後継者不足の課題などに取り組んでいきたいと考えています。
社員自ら産地に足を運び肌で感じた生産者の思い、そして量販店と消費者の架け橋となり青果を送り届けるという社員の情熱を乗せて、これからも船昌は堅実に、時には大胆に次の時代へと船を進めてまいります。